ヴェ○ディ嫌いの原点について

えーと、嫌いです。すごく^^;
理由は、・・・ちょっと長くなりますが、どうぞお許しください(笑)
 
1993年のJリーグ元年より少し前。
私が住んでいた調布市には、プロサッカーチームの誘致活動を行う団体がありました。まだスタジアムの確保もできていない状況でしたが、スタジアム建設の条件には母体となるプロサッカークラブが必要で、そのために「プロサッカーチームを調布に誘致する会」という団体が、調布との関わりのあった三菱、そして読売のいずれかを招致してホームタウンの母体にすべく活動していました。しかし、三菱はすでに浦和市への誘致が決定しており、読売もスタジアム建設がJリーグ元年に間に合わないという理由を含んで川崎市の誘致を受けることが決まりました。当時学生だった私も市役所前や調布駅前でのビラ配りに参加しましたが、動きとして遅すぎたという感は否めませんでした。ここで、調布市のスタジアム建設の夢は一度絶たれました。
 
93年にJリーグが開幕して暫くしてから、今度は調布市青年会議所が中心になって「東京にプロサッカーチームをつくる会」を立ち上げました。当時、東京都サッカー協会で最上位のカテゴリーに所属していたのが東京ガスで、調布市東京ガスを母体として誘致する方向で再び動きはじめました。スタジアム建設の機運が再燃です。地元として盛り上がらないわけがありません。一度は東京ガスから時期尚早として断られたとのことですが、両者の関係は時間をかけて築き上げられていきました。
 
95年、「武蔵野の森競技場基本計画」が発表され、通称関東村跡地に第三セクター方式でスタジアムが建設されることが決まりました。事態は大きく動きはじめます。調布市の「東京にプロサッカーチームをつくる会」と東京ガスの話を知っていたので、新スタジアムには当然に東京ガスが来るものだろうと思っていたのですが、状況はやや複雑な様相に。先の「プロサッカーチームを調布に誘致する会」が読売の誘致をあきらめておらず、ヴェルディ川崎へ移転の働きかけを行っていたという状況。市民としても「え?なにそれ」みたいな。
Jリーグ規約では「ホームタウンの変更は原則禁止」をうたっており、また個人的にも一度は簡単に断って我々の夢を壊しておいて、スタジアムができるならやっぱり東京に移転したいというような都合のいい話でやってくることが決して許しがたかった。何より、川渕さんとナベツネの確執問題のイメージも悪すぎた。調布市民には明らかなヴェルディアレルギーが生まれていたと思う。サッカー好きな調布市民なら誰もがそれを感じていたはず。
また、それ以降でもヴェルディが市内で広報活動をしているところなんててんで見たことがなかったし、まるで「スタジアムが出来たら、それを貸してさえくれればいいですよ」と言わんばかり。結果としてヴェルディは2001年の東京スタジアム完成とともに東京へ移転してきたのだけど、もうこの時点ではその経緯の全て許せなかった。
 
私自身、東京ガスの試合を初めて見たのは98年からで、本格的にチームを応援し始めたのもそこから。東京ガスについては94年や97年の天皇杯躍進を知っていたものの、Jリーグに上がれるかどうかなんて全く未知の状況ではあったから、スタジアム建設問題やこういったヴェルディのゴタゴタを目の当たりにしていたことで、東京ガスの応援というよりもむしろ「ヴェルディだけは絶対に応援したくない。東京移転は絶対に認めない」という反骨心だけを強く持っている状態でした。Jリーグじゃないけれど、東京ガスがんばれ!みたいな。
しかし、97年に東京ガスJリーグ参入を目指すことが発表されてからは言わずもがな。この反骨のエネルギーが爆発することになります(笑)
 
比較してみれば小さなクラブと日本一のビッグクラブ。だけど、今に見ていろと。絶対に「東京」ヴェルディなんて認めないぞと。東京都初のプロサッカークラブはこっちだぞと。1969?こちとら1935年創部だぞと。そんな感じです。
 
こんなところで(笑)

※インタビューズに書いたエントリーを、サービス停止に伴い転載。